旅するやまねこ舎のつれづれ

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みんな水の中 横道 誠 著

秋晴れの日が続く。明けが遅くなり、暮れが早くなれば、なんとなく気忙しい。その分夜が長くなる道理だが、暗くなると眠くなってビール🍺を飲んで1日が終わってしまう。昨日の夕刻、ギリギリ日暮れ時に読了しました。

「みんな水の中」横道 誠 著

2021年5月1日第1版第1刷発行

発行所 医学書院 

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前々回、前回に続き横道誠さんの著作。本書が単著第一作なので、本当はコレを最初に読むべきだったのだろう。

まず、装幀と構成の斬新さに驚く。

本書は青い紙を使用したⅠ部「詩のように。」、白い紙を使用したII部「論文的な。」、再び青い紙を使用したⅢ部「小説風。」から成る。

Ⅰ部は著者の第一次的な思考法に即した語り口(言語様態)、II部は著者の第一外国語としての標準日本語への翻訳、Ⅲ部はⅠ部とⅡ部で表現できない部分の補完。

Ⅰ部は感覚的な短い語がコラージュのように散りばめられ、Ⅱ部はそれを解説することにより自己の体験的世界を開示する。著者によれば「私という唯一無二の人間の自己解剖記録」である本書の中心部分である。著者が共鳴した文芸作品や先行研究がインデックスとなっており、その豊富さには目を瞠る。Ⅲ部は著者の一見ダメダメな生活を思わせる短編小説。面白い。

著者は2019年4月、40歳の時にASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠陥・多動症)が併発しているとの診断を受けた。「それまで『なんだか多くの人と違うんだけど』といぶかしんできた自分のしっぽをつかむことに成功した」とある。そこから本書の刊行まで約2年。一方で、日常的には本業の京都府立大学准教授としての仕事のみならず、自助グループへの参加や当事者研究会の立ち上げ等の活動を開始。精力的な取り組みに驚かされる。

著者はいつも「水の中」に生きているという。それは医学的には解離型ASDと言われる概念で説明される要素があり、著者の場合「現実が常に夢に浸されているような体感」をもち、それと同様の体験世界がオーストリアの作家ローベルト・ムージルの戯曲「熱狂家たち」の中に表現されていることを発見する。曰く「文学と芸術を、自分の精神に明晰さをもたらす手がかりにしてきた」。

文学や芸術に救われるという感覚は知的障害者だけではなく多くの人々に共有されるものだろう。作品世界に真理を見いだすことにより、ある種の癒しを得る。著者は「文学と芸術とは、混沌とした宇宙に明晰さを与えるものにほかならない」というが、平たく言えば自己の中に未分明なまま抱え込んでいるものを、うまく言い当てて(表現して)くれたことへの深い感動ということだろうか。さらに言えば、自己の痛みへの知悉は時空を超えたところにあり、今ここで遭遇することができた、という歓喜ということか。著者は「文学と芸術によるケアとセラピーとリカバリー」の探求者である。文学と芸術により高次の意味合いでの慰めを得られたことが現在の生きがいにつながり、「地獄行きのタイムマシン」を阻止してくれる力にもなったとある。

著者は宗教2世としてAC(アダルト・チルドレン)の1人(アダルト・チャイルド)であることを明らかにしている。幼少期に母親から受けた暴力(所属していた教団の教義による)の記憶がフラッシュバックすることを「地獄行きのタイムマシン」と命名した。ASD者は、記憶の在り方が点の集まりであり、スライドショーのように時間軸がバラバラになっていることがある。

著者もこの特性を持つため、ちょっとした憂鬱がトリガー(きっかけ)になり、毎日何度もこの「地獄行きのタイムマシン」に乗せられる。

AC(アダルト・チルドレン)とは「機能不全家族で子ども時代を過ごし成長した人」で、自尊感情が十分はぐくまれず、見捨てられ不安を抱いてしまう。その不安が身体感覚をもろくするという。

著者は発達障害者を「脳の多様性」を体現する者という。一方で所謂「定型発達者」は別の「脳の多様性」を体現する当事者であるといえるだろう。

本書には私自身の記憶の中にある出来事を思い出させる記述、「これ、わかる!」と共感できる内容も多い。おそらくASDADHDの片鱗は私の中にもあると確信する。自己の感受性と自覚的に向き合い、言語化することは自分自身の癒しになる。