立春の寒い朝。季節の推移は計画通りにいかないものだ。節分に恵方巻き食べるのを忘れたなあ…と思いながらこの本を読んでみた。
「本を読めなくなった人のための読書論」
若松英輔 著
2019年10月7日第1版第1刷発行
2020年7月15日第3刷発行
発行所 亜紀書房
本書のタイトルに「本を読めなくなった…」とあるのは、かつては本を読んでいたことを前提としていると思われる。昔はできたことができなくなった、とは加齢に伴いしばしば実感することだが、生活環境や人間関係の変化が生活時間を侵食し、しばし自己と向き合う瞬間を持てなくなってくることは誰にでも起こりうる。習慣の中に身を置き、ルーティンをやり過ごすことは周囲とうまくやっていく秘訣なのかもしれない。
「読書は、『ひとり』であることと、対話が同時に実現している、とても不思議な出来事なのです。」と本書の冒頭で筆者は述べる。「読む」とは無言の対話であるとも。
筆者は対話の条件として次の4点を挙げる。
①偶然であること
②突然に起こること
③1回しか起きない
④持続的に変化する
「対話」は効率的なものではなく、「待つ」ことが求められる。
「本が読めなくなっているとき、私たちは今まで出会ったことのない何かの訪れを『待って』いるのかもしれないのです。」
筆者が考える「読書」とは、効率的に読書量を増やすことや、知識量を増やすための読書とは異なる、「人生のための読書」である。「読む」ことによる「対話」が、それまで見過ごしてきた自己と出会うべくして出会った、という邂逅となる。
逆に言えば、「本を読めなくなった時間」と向き合うことなくして「読む」ことはできない。「『読む』ちから」を取り戻す前にひとりでいることに快適さを感じる感覚」を取り戻すことなくして先へは進めない。
「読む」ことと「書く」ことは互いに補い合う関係にある。そのため、読書との関係を取り戻す方法として、「書く」ことから始めるのもよい。とあるのには同感である。
…ワタシの拙いこのblogもそんな試みのひとつなのかもしれないなあ😅
仕事を離れ、今まで読めなかった本を読もう、という意欲は大いにあるが、人生の残り時間を考え、優先順位をつけて読み進めていくのは思ったよりも難しいと実感している。
年間約7万部とも言われる新刊書や、古書店の棚の中に発見してしまう本との新たな出会いもあり、どうやってそれらと付き合っていけばいいのか、半ば途方に暮れている。
本を読めなくなった時を経て、再び(おそらく40年ぶりくらいに)いくらでも本を読める日々が訪れたが、それはそれで悩みが深いのである📚