2024.8.29より西日暮里ブックアパートメントにも棚をお借りしました。
場所はJR西日暮里駅改札出てすぐ、西日暮里スクランブル1階。https://hagiso.com/book-apartment/
こちらもどうぞよろしくお願い致しますにゃん😸✌️
2024.8.29より西日暮里ブックアパートメントにも棚をお借りしました。
場所はJR西日暮里駅改札出てすぐ、西日暮里スクランブル1階。https://hagiso.com/book-apartment/
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すっかりご無沙汰致しました。
実は、このたび一身上の都合により、1年3ヶ月の間お世話になっておりました横浜馬車道のLOCAL BOOK STORE kita.を離れ、2024.7.7に京都一乗寺にオープンした一乗寺ブックアパートメントに棚を構えました😸✌️
※下2枚の写真は一乗寺ブックアパートメントご店主、北本一郎さん撮影。
京都の皆さんと仲良くさせていただきながら、滞っていたblogもぼちぼち更新していく予定です。
これからもよろしくお願い致しますにゃん😸
P.S. 前回予告しました『旅は心と本棚の中に』(仮)と題する、夏旅フェアは時機を逸してしまいましたので、無期延期致します。
申し訳ありません🙇♀️
ゴールデンウィークも終わり、5月もそろそろ半ば。重い腰を上げて明日から京都へ向かうことにした。目的は、昨年雨天延期になったため見損なった葵祭と石山寺。あとは毎回訪ねている京都国際マンガミュージアムへ入場料値上げの前に行っておこうか…⁇https://kyotomm.jp
京都の観光地は外国人観光客の皆さんに席捲されているのかも⁇NHK大河ドラマ『光る君へ』との関連もあり、石山寺では特別展示も楽しみである😍https://www.ishiyamadera.or.jp
そんな中、旅の達人である森まゆみさんのエッセイを読んでみた。
『用事のない旅』森まゆみ著
2019年1月29日第1刷発行
2021年1月29日第3刷発行
発行所 株式会社 産業編集センター
本書の発行は2019年だが、所収エッセイの大半は既出のコラム(初出は2000年〜2007年)のためかなりのタイムラグがある。今より生活時間が全体的にのんびりしていた頃の旅のエッセイ。著者の森まゆみさんのマイペースなひとり旅のお供をさせていただく気分で時々寝落ちしながら休息時間を楽しむ。
煩雑な日常から離れ、一時的に気持ちを解放する、「命の洗濯」には旅が一番簡単な方法だった。携帯電話のない時代には、職場からの面倒な連絡から逃れる唯一の方法だった。
森さんも同様だったようで、電話もFAX(当時の連絡手段はコレだった)も来ない旅の宿でくつろいでおられるご様子♨️😊✌️
忙中閑あり…とは、多忙な日常あってこそ、かもしれない。
本書所収のエッセイには、観光開発による景観の破壊や、かつての秘湯の良さが観光客の増加により失われてゆく残念な思いが語られている一方、用事のない旅先で、偶然の出会いが筆者にもたらした素敵な時間のことがふんだんに語られており、追体験してみたくなる。
さて、我が身を振り返ると、リタイア後1年余り経過。お金はないが、暇は売るほどあるのだから…とは思うのだけれど、用事のない旅、どころか散歩すらもなかなか…
皮肉なもので、目的のない外出がすっかりできなくなってしまった😅
約20年前と比較すると、ICTの発達により情報収集、宿や交通機関の予約、キャッシュレス決済など旅をする上でも利便性が向上し、旅がしやすい状況になっている。一方で、身体は遠方へ移動しても、気持ちは日常から離れることがない。スマホをONにすれば、瞬時に日常へ戻ってこられる。
これは、きっとデジタルネイティヴ世代にはない感覚でしょう😅
在職中、ずーっと、いつかバックパッカーをやってみたいと思っていたが、ここ数年の国際情勢や円安の状況を見るにつけ、完全に意気阻喪してしまった。
さて、そんなわけで、今夏「旅するやまねこ舎」の棚は『旅は心と本棚の中に』(仮)と題する、夏旅フェアを予定しております。雑誌『旅行人』など並べてみたいと思っております。お店番も致します。
夏休みに横浜へお越しの折は、思い出話にお付き合いいただけますとうれしいです😸✌️
ようやく桜🌸が咲いて新年度。昨日はご近所の大学で入学式があった。思えば入学式に桜🌸という光景も久しぶりかもしれない。
さて、「旅するやまねこ舎」の棚主になって月末で丸1年。お買い上げくださった皆さま、誠にありがとうございましたにゃん😸
そろそろ棚のリニューアルを考えたいところで、あれこれ思案中。
そんな中、本の街神保町のシェア型書店「PASSAGE by all reviews 」プロデューサーであり、古書蒐集家、フランス文学者である鹿島茂さんのエッセイを読んでみた。
「子供より古書が大事と思いたい」鹿島茂 著
1999年11月10日 第1刷
発行所 株式会社 文藝春秋
本書は『ユリイカ』(青土社)1994年1月号から12月号に連載された「モロッコ革の匂いー古書渉猟」に別のメディアに発表されたエッセイを加え、1995年に単行本発行、のちに文庫本化された。
フランスの古書に取り憑かれてしまった著者の生活破綻ギリギリまでのめりこむ様子はタイトルを見ただけで窺い知れる。
神田の古書店で、19世紀のフランスのロマンチック本(挿絵本)との運命的な出会いが著者のその後の人生を変えてしまった。折しも勤務先の大学から1年間のパリ研修の機会(曰く「旱天の慈雨というべき幸運」)が与えられ、まさしく古書購入三昧の日々となる。
ちなみに「PASSAGE by all reviews 」の代表である 由井緑郎さんの幼少期の出来事が、本書のメインとなるエッセイにあり、家族旅行の最中に大部の古書(『19世紀ラルース』全17巻)と出会ってしまった(もちろん即購入した)がために、窮屈な思いをさせられた不憫さに思わず涙😹💧
モロッコ皮装幀の瀟洒な本は、インテリアとしてガラス戸のついた書棚によく似合う、と思う。
が、フランスの古書店巡りのみならず、ファックスもメールもない時代から、金融機関に多額の借金をしてまでオークションに出品された古書を落札しようとする著者の情熱には恐れ入るほかない。
今にして思えば、1980年代後半の日本は、プラザ合意以後の急速な円高により、空前の海外旅行ブームが到来し、輸入品が格安で入手できるようになった。とはいえ、フランスの稀覯本はそうやすやすと手を出せる価格ではないのに🙀
フランス文学にはまったくの門外漢である私にも、挿絵本の版画の技法の変遷、装幀や古書店の格付けなど、挿絵本購入という未知の世界への誘いとして大いに楽しめた。
もうパリに行くことはないでしょうから、いつか神保町で現物をぜひ見せていただきたいです。
3連休最終日。3日前の体調不良はすっかり回復したが、人混みに出かけるのはやめて家で読書をして過ごす。
安部公房の遺作となった小説を読んでみた。
なお、今回はネタバレにならない程度に、ごく短く書きます。
「飛ぶ男」安部公房 著
1994年1月22日発行、1994年2月22日3刷
発行所 新潮社
1993年1月22日に脳出血で急逝された安部公房氏の遺稿「飛ぶ男」(未完)と、雑誌新潮に掲載された「さまざまな父」を急いで読んだ。本書は2作を併せて安部氏の一周忌に発行された追悼の書。
久しぶりの安部公房。突然起こる怪現象が、読み進んでいくうちにあたかも以前から計画された出来事であるかと思わせられ、登場人物たちが巻き込まれる事件から目が離せなくなる。
作者の偉大なる妄想癖は読者をどこへ連れ出すのか⁇
窓外にパジャマ姿の男が飛んでいる。その男を空気銃で狙撃してしまった女と、その男の兄(高校教師)とが奇妙な関係になっていく。
書かれた作品は構想の半分くらいかな⁇
終盤は、行間がとびとびで、作者ご本人は、まさかこの状態が遺稿となるとは予想していなかったに違いない。
「さまざま父」の方は、薬を飲んで透明人間になった父と、その息子とのやりとりが中心の短編。「飛ぶ男」の予告編的な作品。父の肉体が徐々に見えなくなっていく描写や、息子のアンビバレントな心理の推移などに引き込まれ、あっという間に読了。
それにしても没後31年、とは月日が経つのはホントに早い🫢
昨日は原因不明の発熱🥵💦幸い一晩で解熱したが、インフルエンザやらコロナウィルスやらの蔓延状況に、まったく気が抜けない。
今日はおとなしくして、猫のきもちを勉強してみた。
「マンガでわかる猫のきもち」
ねこまき(ミューズワーク)×今泉忠明
2017年4月27日第6刷発行
発行所 株式会社大泉書店
ワタシは動物を飼ったことがないので、ペットのことで悩む経験はなかったが、「旅するやまねこ舎」と名乗ってからというもの、猫に仮託し、折々に「にゃ〜、にゃ〜」言っている。すると行動パターンが少しずつ猫化してくるのを実感する。ワタシには飼い主がいない。自立した猫(ノラではないが)として、うまくこの世を渡っていけたらいいにゃ〜😸
本書の右ページは、ねこまきさんによるほのぼのゆるゆるマンガ。猫の本音がよくわかる。
猫は野生だった頃、半砂漠で暮らしていたから、水を見るととりあえずは舐めてみる(飼い主の涙も😢…)とか、飼い主がいつもは起きている時間に寝ていると、おもちゃを持ってきてくれる…とか。(その理由は2つ考えられ、①遊んでほしい②食べものをあげたつもり、だそう。)
昨日のように寝込んでしまった時、もしそばに猫がいたら大変だったにゃ〜😹
また、猫はもともと夜行性なので、昼間は寝ていて夜になると「野生モード」のスイッチが入りバタバタ走り回る…どんなに満腹でも、捕食動物の「獲物を捕らえたい」という本能的欲求が爆発しやすい。
思いっきり発散させてあげたいが…ワタシは夜遅くまで起きていられないから、それは勘弁にゃん😹
それから見逃せないのは、猫の紙好きなこと。
箱入りのティッシュペーパーは、狩猟本能をかき立て、どんどん出てくるティッシュを羽根をむしるように引き出すのが止まらないんだとか。
現在ウチは紙だらけだから、猫ちゃんの遊び場としてはもってこい、かもしれないが、おかたづけまではムリ…でしょ⁉️
…そんなこと言いつつ、所構わず本のタワーを作っちゃうワタシの習性はいったい⁇
猫ちゃんの飼い主の皆さまにはリスペクトしかありません🙇♀️
立春の寒い朝。季節の推移は計画通りにいかないものだ。節分に恵方巻き食べるのを忘れたなあ…と思いながらこの本を読んでみた。
「本を読めなくなった人のための読書論」
若松英輔 著
2019年10月7日第1版第1刷発行
2020年7月15日第3刷発行
発行所 亜紀書房
本書のタイトルに「本を読めなくなった…」とあるのは、かつては本を読んでいたことを前提としていると思われる。昔はできたことができなくなった、とは加齢に伴いしばしば実感することだが、生活環境や人間関係の変化が生活時間を侵食し、しばし自己と向き合う瞬間を持てなくなってくることは誰にでも起こりうる。習慣の中に身を置き、ルーティンをやり過ごすことは周囲とうまくやっていく秘訣なのかもしれない。
「読書は、『ひとり』であることと、対話が同時に実現している、とても不思議な出来事なのです。」と本書の冒頭で筆者は述べる。「読む」とは無言の対話であるとも。
筆者は対話の条件として次の4点を挙げる。
①偶然であること
②突然に起こること
③1回しか起きない
④持続的に変化する
「対話」は効率的なものではなく、「待つ」ことが求められる。
「本が読めなくなっているとき、私たちは今まで出会ったことのない何かの訪れを『待って』いるのかもしれないのです。」
筆者が考える「読書」とは、効率的に読書量を増やすことや、知識量を増やすための読書とは異なる、「人生のための読書」である。「読む」ことによる「対話」が、それまで見過ごしてきた自己と出会うべくして出会った、という邂逅となる。
逆に言えば、「本を読めなくなった時間」と向き合うことなくして「読む」ことはできない。「『読む』ちから」を取り戻す前にひとりでいることに快適さを感じる感覚」を取り戻すことなくして先へは進めない。
「読む」ことと「書く」ことは互いに補い合う関係にある。そのため、読書との関係を取り戻す方法として、「書く」ことから始めるのもよい。とあるのには同感である。
…ワタシの拙いこのblogもそんな試みのひとつなのかもしれないなあ😅
仕事を離れ、今まで読めなかった本を読もう、という意欲は大いにあるが、人生の残り時間を考え、優先順位をつけて読み進めていくのは思ったよりも難しいと実感している。
年間約7万部とも言われる新刊書や、古書店の棚の中に発見してしまう本との新たな出会いもあり、どうやってそれらと付き合っていけばいいのか、半ば途方に暮れている。
本を読めなくなった時を経て、再び(おそらく40年ぶりくらいに)いくらでも本を読める日々が訪れたが、それはそれで悩みが深いのである📚