旅するやまねこ舎のつれづれ

旅するやまねこ舎@ローカルブックストアkita.(横浜・馬車道・北仲通り)棚主やまねこが本について語ります😸

飛ぶ男 安部公房著

3連休最終日。3日前の体調不良はすっかり回復したが、人混みに出かけるのはやめて家で読書をして過ごす。

安部公房の遺作となった小説を読んでみた。

なお、今回はネタバレにならない程度に、ごく短く書きます。

「飛ぶ男」安部公房

1994年1月22日発行、1994年2月22日3刷

発行所 新潮社

f:id:rimikito:20240212134332j:image
f:id:rimikito:20240212134329j:image

1993年1月22日に脳出血で急逝された安部公房氏の遺稿「飛ぶ男」(未完)と、雑誌新潮に掲載された「さまざまな父」を急いで読んだ。本書は2作を併せて安部氏の一周忌に発行された追悼の書。

久しぶりの安部公房。突然起こる怪現象が、読み進んでいくうちにあたかも以前から計画された出来事であるかと思わせられ、登場人物たちが巻き込まれる事件から目が離せなくなる。

作者の偉大なる妄想癖は読者をどこへ連れ出すのか⁇

窓外にパジャマ姿の男が飛んでいる。その男を空気銃で狙撃してしまった女と、その男の兄(高校教師)とが奇妙な関係になっていく。

書かれた作品は構想の半分くらいかな⁇

終盤は、行間がとびとびで、作者ご本人は、まさかこの状態が遺稿となるとは予想していなかったに違いない。

「さまざま父」の方は、薬を飲んで透明人間になった父と、その息子とのやりとりが中心の短編。「飛ぶ男」の予告編的な作品。父の肉体が徐々に見えなくなっていく描写や、息子のアンビバレントな心理の推移などに引き込まれ、あっという間に読了。

それにしても没後31年、とは月日が経つのはホントに早い🫢

 

マンガでわかる猫のきもち ねこまき(ミューズワーク)×今泉忠明

昨日は原因不明の発熱🥵💦幸い一晩で解熱したが、インフルエンザやらコロナウィルスやらの蔓延状況に、まったく気が抜けない。

今日はおとなしくして、猫のきもちを勉強してみた。

「マンガでわかる猫のきもち」

ねこまき(ミューズワーク)×今泉忠明

2017年4月27日第6刷発行

発行所 株式会社大泉書店

f:id:rimikito:20240210185932j:image

ワタシは動物を飼ったことがないので、ペットのことで悩む経験はなかったが、「旅するやまねこ舎」と名乗ってからというもの、猫に仮託し、折々に「にゃ〜、にゃ〜」言っている。すると行動パターンが少しずつ猫化してくるのを実感する。ワタシには飼い主がいない。自立した猫(ノラではないが)として、うまくこの世を渡っていけたらいいにゃ〜😸

本書の右ページは、ねこまきさんによるほのぼのゆるゆるマンガ。猫の本音がよくわかる。

猫は野生だった頃、半砂漠で暮らしていたから、水を見るととりあえずは舐めてみる(飼い主の涙も😢…)とか、飼い主がいつもは起きている時間に寝ていると、おもちゃを持ってきてくれる…とか。(その理由は2つ考えられ、①遊んでほしい②食べものをあげたつもり、だそう。)

昨日のように寝込んでしまった時、もしそばに猫がいたら大変だったにゃ〜😹

また、猫はもともと夜行性なので、昼間は寝ていて夜になると「野生モード」のスイッチが入りバタバタ走り回る…どんなに満腹でも、捕食動物の「獲物を捕らえたい」という本能的欲求が爆発しやすい。

思いっきり発散させてあげたいが…ワタシは夜遅くまで起きていられないから、それは勘弁にゃん😹

それから見逃せないのは、猫の紙好きなこと。

箱入りのティッシュペーパーは、狩猟本能をかき立て、どんどん出てくるティッシュを羽根をむしるように引き出すのが止まらないんだとか。

現在ウチは紙だらけだから、猫ちゃんの遊び場としてはもってこい、かもしれないが、おかたづけまではムリ…でしょ⁉️

…そんなこと言いつつ、所構わず本のタワーを作っちゃうワタシの習性はいったい⁇

猫ちゃんの飼い主の皆さまにはリスペクトしかありません🙇‍♀️

本を読めなくなった人のための読書論 若松英輔 著

立春寒い朝。季節の推移は計画通りにいかないものだ。節分に恵方巻き食べるのを忘れたなあ…と思いながらこの本を読んでみた。

「本を読めなくなった人のための読書論」

若松英輔 著

2019年10月7日第1版第1刷発行

2020年7月15日第3刷発行

発行所 亜紀書房

f:id:rimikito:20240204113449j:imagef:id:rimikito:20240204113453j:image
本書のタイトルに「本を読めなくなった…」とあるのは、かつては本を読んでいたことを前提としていると思われる。昔はできたことができなくなった、とは加齢に伴いしばしば実感することだが、生活環境や人間関係の変化が生活時間を侵食し、しばし自己と向き合う瞬間を持てなくなってくることは誰にでも起こりうる。習慣の中に身を置き、ルーティンをやり過ごすことは周囲とうまくやっていく秘訣なのかもしれない。

「読書は、『ひとり』であることと、対話が同時に実現している、とても不思議な出来事なのです。」と本書の冒頭で筆者は述べる。「読む」とは無言の対話であるとも。

筆者は対話の条件として次の4点を挙げる。

①偶然であること

②突然に起こること

③1回しか起きない

④持続的に変化する

「対話」は効率的なものではなく、「待つ」ことが求められる。

「本が読めなくなっているとき、私たちは今まで出会ったことのない何かの訪れを『待って』いるのかもしれないのです。」

筆者が考える「読書」とは、効率的に読書量を増やすことや、知識量を増やすための読書とは異なる、「人生のための読書」である。「読む」ことによる「対話」が、それまで見過ごしてきた自己と出会うべくして出会った、という邂逅となる。

逆に言えば、「本を読めなくなった時間」と向き合うことなくして「読む」ことはできない。「『読む』ちから」を取り戻す前にひとりでいることに快適さを感じる感覚」を取り戻すことなくして先へは進めない。

「読む」ことと「書く」ことは互いに補い合う関係にある。そのため、読書との関係を取り戻す方法として、「書く」ことから始めるのもよい。とあるのには同感である。

…ワタシの拙いこのblogもそんな試みのひとつなのかもしれないなあ😅

仕事を離れ、今まで読めなかった本を読もう、という意欲は大いにあるが、人生の残り時間を考え、優先順位をつけて読み進めていくのは思ったよりも難しいと実感している。

年間約7万部とも言われる新刊書や、古書店の棚の中に発見してしまう本との新たな出会いもあり、どうやってそれらと付き合っていけばいいのか、半ば途方に暮れている。

本を読めなくなった時を経て、再び(おそらく40年ぶりくらいに)いくらでも本を読める日々が訪れたが、それはそれで悩みが深いのである📚

世界を旅する黒猫ノロ 飛行機に乗って37ヵ国へ 平松謙三 著

もうすぐ2月。あちらこちらで梅の便り。今年は暖冬のまま春へと移るのか?

海辺で美味しいお魚が食べたい。お酒はビール🍻でも日本酒🍶でも…

そんなことを思いながら、平松謙三さんと愛猫ノロくんの旅日記を読んでみた。


河出文庫「世界を旅する黒猫ノロ 飛行機に乗って37ヵ国へ」平松謙三 著

2022年2月20日 初版発行、2023年11月30日2刷発行

発行所 河出書房新社

(「世界を旅するネコ  クロネコノロの飛行機便、37ヵ国へ」2016年 宝島社発行に加筆・修正し文庫化)

f:id:rimikito:20240130102434j:image
本書の発行はノロくんが2021年に虹の橋🌈を渡った後のこと。享年20歳。長生きの秘訣は生涯にわたり平松さんと旅を続けたことでしょう。

飛行機やレンタカーに乗って37ヵ国を旅したノロくんは、空港の手荷物検査場を平松さんの肩に乗って通過し、手荷物扱いで機内持ち込みのキャリーバッグの中へ。前の座席の下に収まって出発。食料はいつものキャットフード、トイレはコンビニ袋と紙砂で作ったモバイルトイレ。「にゃ~」と鳴くと平松さんがすかさずスタンバイ…で、OK!

ヨーロッパの航空会社ではペット連れはごく当たり前だそう。

目的地に着いたら「動く個室」のレンタカーで移動。車中では身体を伸ばして、リラックス!

…で、ホテルに着いたら平松さんはノロくん目線でお部屋のチェック(開口、窓のチェック、ワレモノは床に下ろすかクローゼットの中へ移動、爪とぎ、トイレ、水の設置)、続いてノロくんによるお部屋のスケールやバスルームのチェック。ふかふかのベッドでゴロゴロ…なんて極楽❗️

あとは平松さんがステキなところへ連れて行ってくれて、写真をたくさん撮ってくれる。

ノロくんはホントに幸せ猫。ときどきびっくりしたり、獣医さんで注射してもらったりもしながら、悠然と世界各地を巡り、ポーズを決めている。

本書には、「ユルくならない猫写真の撮り方」の役に立つアドバイスも。

①構図(まず風景を決め、その一部に猫の場所を配置)

②リードさばき(写真に写らないようにする)

③スピーディーに(1~2分で)撮る

④猫が美しく見える角度を知っておく。

ノロくんは2010年にシリアのパルミラを訪ねている。いい時に行けてよかったにゃ🐈‍⬛

f:id:rimikito:20240130102800j:image

この翌年(2011年)に勃発した内戦(未だ終結せず)のため、この遺跡は破壊され、今は跡形もないらしい。(パルミラ遺跡には、やまねこも1994年に行ったことがある。夕陽をバックにした壮大な遺跡の風景が蘇る。)

アラブの人々はみんな猫好きで、ダマスカスのホテルに到着するや否や、ノロくんは取り囲まれることに…🤭❣️

それから10年。世界中がコロナ禍による「ステイ・ホーム」になった2020年は、ノロくんも平松さんとおウチで蜜な時間を過ごし、思いっきり甘えん坊になった。翌21年秋に石川県金沢市を旅したのがこの世での最後の旅となり、老衰により虹の橋の向こうへ🌈

本書を購入したのは三軒茶屋の猫本屋Cat‘s Meow Booksさん。猫店員さんのいる猫本100%のにゃんダフルなお店です。ぜひ一度(と言わずにゃん度も)お運びくださいませ😻

https://m.facebook.com/profile.php/?id=100048470155489

https://twitter.com/CatsMeowBooks

2023年9月には、本書の〈ごあいこ感謝ツアー〉が開催され大盛況❣️

その時には気づかず、お店に訪問できなかったのがとてもザンネン😹

norojourneyのアカウントに動画がありましたので、Instagramのリンクを貼らせていただきますね‼️

https://www.instagram.com/reel/Cxj7i2rvhx7/?igsh=MWZ3NWR0aHI3aTM1dw==

パラレルキャリア ナカムラクニオ著

気がつくと、2ヶ月も更新をお休みしました🙇‍♀️

それなりに本はポツポツ読んでいますが、書くのが追いつかない…😹

年始からは、厳しい寒さの合間に、都内の個性的な本屋さんを巡りましたので、いずれそのことも書こうと思います。

で、今日の一冊は、「パラレルキャリア」

ナカムラクニオ 著

2016年6月10日 初版発行

発行所 晶文社

f:id:rimikito:20240126133904j:image

やまねこの個人的なお話をすると、昨年3月にリタイア後、社会的に認知されている活動は、整形外科の通院と「旅するやまねこ舎」の活動がほぼすべてで、もう本業も副業もない。(夏に日払いの単発バイトすら断られた😓)

しかし、昨今のトレンドは本書にみられるような、複数の仕事を楽しみつつ人生を謳歌する「パラレルキャリア」らしい。身体はひとつしかないのに、本業(会社員など)の他に、いくつもお仕事かけもち…って🙀⁉️

在職中のワタシは副業が禁止されていたため、40代から習い始めた染織にのめり込んで制作をした時期もあったが、それを収入に結びつけることは叶わず諦めた。

その後、50代に入ると、職場の先輩方(多くは団塊の世代)の大量退職と非正規雇用の増大で、一気に業務の負担が増し、職場内トリプルキャリア状態で毎日ヘトヘトだった😓

しかも、退職直前の数年間はコロナ禍で身動きが取れず、まさかの在宅勤務推奨になり、初めてのオンライン会議やら動画制作やら、誰も見てない自室で深夜まで残業…😓

夢だった早期退職(勧奨退職を考えていた)もどこかへ飛んでいってしまい、1年間の再雇用勤務(パート)ののち完全に辞めることにした。

…なので、もう仕事はしません。

身の上話が長くなりました。

さて、本書のテーマ「パラレルキャリア」とは、収入増を目的としたダブルワークとは異なり、「本業+α」の働き方」で「人生ちょい足しワーキング」。ささやかな夢の実現など【精神的価値】を最重視した考え方。「仕事A」+「仕事B」=「♾️(無限大)」の可能性を秘めた働き方と定義付けられる。

本書は10章で構成され、各章には見開き2ページにまとめられたヒントが10個ずつ、合計100のヒントはパラレルキャリアに憧れる人々の背中を押してくれるに違いない。

著者ナカムラクニオさんは、ブックカフェ「6次元」のオーナーとして有名だが、元はテレビのディレクター一筋20年という経歴の持ち主。現在では複数の仕事をかけもちし、ご自身の働き方を広くメディアに発信しておられる。

パラレルキャリアにおける「副業」は「福業」(HAPPY WORK)、本業との相乗効果で生きがいを感じる働き方。

既にピーター・ドラッカーが著書「明日を支配するもの」(1999年)で提唱しているらしい。

本書「第1章 パラレルキャリアとは何か 10 3つのワークバランスを整える」には、人生における3つの仕事、「ライスワーク(食べるための仕事)、ライフワーク(人生をかけた仕事)、ライクワーク(趣味を生かした仕事)」のバランスの重要性が示されており、この3つの配分を上手に行うことがパラレルキャリアの要諦であるようだ。

3つ目に挙げられた「ライクワーク」は、職場と自宅以外のサードスペース(それがオンライン上にあることもしばしばある)における活動が、趣味の領域を超え、無償ではなく金銭の授受を伴うものにバージョンアップした形態と捉えることもできる。誰でも主宰者になることができ、楽しい体験を参加者と共有する時間がお金の流れを生む、という仕組み作りが起業の入り口になる。

実現するためには…⁇

今後は副業禁止の法律や社内規則が撤廃され、本業以外に報酬を伴う活動が自由に行えるようになると良いと思う。ワタシは無理だったけど、ね😹

本書はキャッチーな造語が満載で、読み疲れてしまうかも…でも、好きなところだけ拾い読みでも十分楽しめ、ヒントをもらえてちょっとトクした気分になれる。

付記

現在、ナカムラクニオさんは東京と輪島との二拠点生活を送っておられるが、この度の地震でご自宅が被災されたとのこと。心よりお見舞い申し上げます。

中日新聞のリンクを貼っておきます。https://www.chunichi.co.jp/article/842902

私が書いてきたこと・大阪センチメンタルジャーニー・丘に向ってひとは並ぶ 富岡多惠子 著

小春日和を通り越して、ポカポカ陽気の日。明日からは冷え込みそうだが、棚主になっているローカルブックストアkita.のイベント「本は港」が始まる。https://honmina.com/

今日はみなとみらいのstory story yokohama で前夜祭。30名限定というので応募したら残念ながら落選😹…まあ仕方ない。

久々に読んだのは、学生時代から愛読していた富岡多惠子さんの3冊。懐かしくなって、小説家デビュー作も引っ張り出しました。

「私が書いてきたこと」

2014年10月10日 初版第1刷発行

発行所 編集グループSURE

「大阪センチメンタルジャーニー」

(1990年11月1日~1991年10月31日産経新聞連載)

1997年8月10日第1刷発行

発行所 株式会社集英社

中公文庫「丘に向ってひとは並ぶ」

1976年4月10日初版、6月15日再版

発行所 中央公論社

f:id:rimikito:20231124231146j:imagef:id:rimikito:20231124231607j:imagef:id:rimikito:20231124231615j:image

対談集「私が書いてきたこと」が横浜市の図書館の蔵書にあったのは大変貴重だ。久しぶりに彼女のナマの言葉を聴いたような気がする。

誠に残念ながら、富岡多惠子さんは今年4月8日に87歳でご逝去。謹んでご冥福をお祈りいたします🙏

大阪女子大学英文科在学中に路面電車の反対側にある帝塚山学院短期大学へ詩人の小野十三郎を訪ね、書きためた詩を持っていくと必ずホメてくれた、という21歳の頃のエピソードは上記2冊の本に書かれているが、富岡さんが詩作をしていた時期は短い。小説を書くようになり、「歌のわかれ」をし、師事した小野十三郎とも遠ざかった。

大阪で生まれた富岡さんが、十代の頃最初に好きになった詩人は中野重治。詩人としてのデビューは1957年22歳の時、詩集「返禮」(京都の人文書院で父親に出してもらった10万円で自費出版だそう)が女性初のH氏賞受賞となったこと。その後、24歳で上京。1960年「物語の明くる日」が室生犀星新人賞を受賞した時、「アコガレの中野重治本人と会う機会がおとずれた。」(「私が書いてきたこと」)

これらのエピソードは、学生時代の私をワクワクさせるものだったが、実は詩についてはあまりよく知らず、傾倒したわけではない。

富岡さんの小説家としてのデビュー作は編集者に頼まれて書いたという「丘に向かってひとは並ぶ」(1971年、中央公論社、のち1976年文庫版発行)であるが、本作を文庫本で読んだのが富岡さんの作品との出会いとなる。中学3年生ごろのことだと思う。

…「ヤマトの国からきたといっても、ヤマトの国というのはどこなのかだれも知らない。ただヤマトの国というのも、そこのひとたちにはアキの国とかヒタチの国とかと同様、どこか遠いところだっただけである。しかもそのヤマトの国からきたという、その男もそんな国がたしかにあったのかどうか本当のところは知らなかった。とにかくどこかからひとりの男がここにきたのだ。」(「丘に向ってひとは並ぶ」冒頭の引用)

今、改めて読み返すと、このような身もふたもない文体(多田道太郎の解説では「愛想のない文体」、「親切でない文体」、「センサク好きの読者をつきはなす文章」と評されている)が面白く、淡々と語られる説話のようなお話に引き込まれていった。短編なのですぐ読めるのもよい。

「詩ではご飯が食べられない。だから雑文で食べていたわけです。…ある時期。小説を書く前はね。…文の芸でしょう。たとえ下手でもそれでお金をいただく、と。」(「私が書いてきたこと」)

後にエッセイ集や評論なども多く出版され、大いに楽しませていただいたが、未読のものもまだまだ…。さしあたり2冊手に入れたけれど、多分年を越します。

f:id:rimikito:20231124193439j:image

みんな水の中 横道 誠 著

秋晴れの日が続く。明けが遅くなり、暮れが早くなれば、なんとなく気忙しい。その分夜が長くなる道理だが、暗くなると眠くなってビール🍺を飲んで1日が終わってしまう。昨日の夕刻、ギリギリ日暮れ時に読了しました。

「みんな水の中」横道 誠 著

2021年5月1日第1版第1刷発行

発行所 医学書院 

f:id:rimikito:20231026155901j:image

前々回、前回に続き横道誠さんの著作。本書が単著第一作なので、本当はコレを最初に読むべきだったのだろう。

まず、装幀と構成の斬新さに驚く。

本書は青い紙を使用したⅠ部「詩のように。」、白い紙を使用したII部「論文的な。」、再び青い紙を使用したⅢ部「小説風。」から成る。

Ⅰ部は著者の第一次的な思考法に即した語り口(言語様態)、II部は著者の第一外国語としての標準日本語への翻訳、Ⅲ部はⅠ部とⅡ部で表現できない部分の補完。

Ⅰ部は感覚的な短い語がコラージュのように散りばめられ、Ⅱ部はそれを解説することにより自己の体験的世界を開示する。著者によれば「私という唯一無二の人間の自己解剖記録」である本書の中心部分である。著者が共鳴した文芸作品や先行研究がインデックスとなっており、その豊富さには目を瞠る。Ⅲ部は著者の一見ダメダメな生活を思わせる短編小説。面白い。

著者は2019年4月、40歳の時にASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠陥・多動症)が併発しているとの診断を受けた。「それまで『なんだか多くの人と違うんだけど』といぶかしんできた自分のしっぽをつかむことに成功した」とある。そこから本書の刊行まで約2年。一方で、日常的には本業の京都府立大学准教授としての仕事のみならず、自助グループへの参加や当事者研究会の立ち上げ等の活動を開始。精力的な取り組みに驚かされる。

著者はいつも「水の中」に生きているという。それは医学的には解離型ASDと言われる概念で説明される要素があり、著者の場合「現実が常に夢に浸されているような体感」をもち、それと同様の体験世界がオーストリアの作家ローベルト・ムージルの戯曲「熱狂家たち」の中に表現されていることを発見する。曰く「文学と芸術を、自分の精神に明晰さをもたらす手がかりにしてきた」。

文学や芸術に救われるという感覚は知的障害者だけではなく多くの人々に共有されるものだろう。作品世界に真理を見いだすことにより、ある種の癒しを得る。著者は「文学と芸術とは、混沌とした宇宙に明晰さを与えるものにほかならない」というが、平たく言えば自己の中に未分明なまま抱え込んでいるものを、うまく言い当てて(表現して)くれたことへの深い感動ということだろうか。さらに言えば、自己の痛みへの知悉は時空を超えたところにあり、今ここで遭遇することができた、という歓喜ということか。著者は「文学と芸術によるケアとセラピーとリカバリー」の探求者である。文学と芸術により高次の意味合いでの慰めを得られたことが現在の生きがいにつながり、「地獄行きのタイムマシン」を阻止してくれる力にもなったとある。

著者は宗教2世としてAC(アダルト・チルドレン)の1人(アダルト・チャイルド)であることを明らかにしている。幼少期に母親から受けた暴力(所属していた教団の教義による)の記憶がフラッシュバックすることを「地獄行きのタイムマシン」と命名した。ASD者は、記憶の在り方が点の集まりであり、スライドショーのように時間軸がバラバラになっていることがある。

著者もこの特性を持つため、ちょっとした憂鬱がトリガー(きっかけ)になり、毎日何度もこの「地獄行きのタイムマシン」に乗せられる。

AC(アダルト・チルドレン)とは「機能不全家族で子ども時代を過ごし成長した人」で、自尊感情が十分はぐくまれず、見捨てられ不安を抱いてしまう。その不安が身体感覚をもろくするという。

著者は発達障害者を「脳の多様性」を体現する者という。一方で所謂「定型発達者」は別の「脳の多様性」を体現する当事者であるといえるだろう。

本書には私自身の記憶の中にある出来事を思い出させる記述、「これ、わかる!」と共感できる内容も多い。おそらくASDADHDの片鱗は私の中にもあると確信する。自己の感受性と自覚的に向き合い、言語化することは自分自身の癒しになる。