旅するやまねこ舎のつれづれ

旅するやまねこ舎@ローカルブックストアkita.(横浜・馬車道・北仲通り)棚主やまねこが本について語ります😸

私が書いてきたこと・大阪センチメンタルジャーニー・丘に向ってひとは並ぶ 富岡多惠子 著

小春日和を通り越して、ポカポカ陽気の日。明日からは冷え込みそうだが、棚主になっているローカルブックストアkita.のイベント「本は港」が始まる。https://honmina.com/

今日はみなとみらいのstory story yokohama で前夜祭。30名限定というので応募したら残念ながら落選😹…まあ仕方ない。

久々に読んだのは、学生時代から愛読していた富岡多惠子さんの3冊。懐かしくなって、小説家デビュー作も引っ張り出しました。

「私が書いてきたこと」

2014年10月10日 初版第1刷発行

発行所 編集グループSURE

「大阪センチメンタルジャーニー」

(1990年11月1日~1991年10月31日産経新聞連載)

1997年8月10日第1刷発行

発行所 株式会社集英社

中公文庫「丘に向ってひとは並ぶ」

1976年4月10日初版、6月15日再版

発行所 中央公論社

f:id:rimikito:20231124231146j:imagef:id:rimikito:20231124231607j:imagef:id:rimikito:20231124231615j:image

対談集「私が書いてきたこと」が横浜市の図書館の蔵書にあったのは大変貴重だ。久しぶりに彼女のナマの言葉を聴いたような気がする。

誠に残念ながら、富岡多惠子さんは今年4月8日に87歳でご逝去。謹んでご冥福をお祈りいたします🙏

大阪女子大学英文科在学中に路面電車の反対側にある帝塚山学院短期大学へ詩人の小野十三郎を訪ね、書きためた詩を持っていくと必ずホメてくれた、という21歳の頃のエピソードは上記2冊の本に書かれているが、富岡さんが詩作をしていた時期は短い。小説を書くようになり、「歌のわかれ」をし、師事した小野十三郎とも遠ざかった。

大阪で生まれた富岡さんが、十代の頃最初に好きになった詩人は中野重治。詩人としてのデビューは1957年22歳の時、詩集「返禮」(京都の人文書院で父親に出してもらった10万円で自費出版だそう)が女性初のH氏賞受賞となったこと。その後、24歳で上京。1960年「物語の明くる日」が室生犀星新人賞を受賞した時、「アコガレの中野重治本人と会う機会がおとずれた。」(「私が書いてきたこと」)

これらのエピソードは、学生時代の私をワクワクさせるものだったが、実は詩についてはあまりよく知らず、傾倒したわけではない。

富岡さんの小説家としてのデビュー作は編集者に頼まれて書いたという「丘に向かってひとは並ぶ」(1971年、中央公論社、のち1976年文庫版発行)であるが、本作を文庫本で読んだのが富岡さんの作品との出会いとなる。中学3年生ごろのことだと思う。

…「ヤマトの国からきたといっても、ヤマトの国というのはどこなのかだれも知らない。ただヤマトの国というのも、そこのひとたちにはアキの国とかヒタチの国とかと同様、どこか遠いところだっただけである。しかもそのヤマトの国からきたという、その男もそんな国がたしかにあったのかどうか本当のところは知らなかった。とにかくどこかからひとりの男がここにきたのだ。」(「丘に向ってひとは並ぶ」冒頭の引用)

今、改めて読み返すと、このような身もふたもない文体(多田道太郎の解説では「愛想のない文体」、「親切でない文体」、「センサク好きの読者をつきはなす文章」と評されている)が面白く、淡々と語られる説話のようなお話に引き込まれていった。短編なのですぐ読めるのもよい。

「詩ではご飯が食べられない。だから雑文で食べていたわけです。…ある時期。小説を書く前はね。…文の芸でしょう。たとえ下手でもそれでお金をいただく、と。」(「私が書いてきたこと」)

後にエッセイ集や評論なども多く出版され、大いに楽しませていただいたが、未読のものもまだまだ…。さしあたり2冊手に入れたけれど、多分年を越します。

f:id:rimikito:20231124193439j:image